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東京地方裁判所 昭和51年(合わ)2号 判決 1977年3月07日

被告人 川越源治

大三・一一・一三生 無職

主文

被告人を懲役六年及び拘留一〇日に処する。

未決勾留日数中、三〇〇日を右懲役刑に、一〇日を右拘留刑にそれぞれ算入する。

押収してあるマッチ一個(昭和五一年押第三七三号の1)を没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、点字書籍の出版をしていた鍼灸師父源治の三男として生まれ、昭和九年三月に目白商業学校を卒業後は自宅で珠算塾を開いたり、一時期堀越高女等で珠算の講師をしていたが、昭和二四年ころからは全く定職につかず、父譲りの家作の管理を妻つねに委ねて自らは無為徒食の生活を続け、昭和三七年三月それまで被告人の身の回りの世話をしていた右妻つねが死亡したのちは長女裕子の世話を受けることとなったが、同女も昭和四八年一〇月に夫進と結婚してしまい、以来同人ら夫婦と生活をともにしていたものの、被告人は、やがて右長女裕子が自分よりも夫進を大事にし、自分を邪魔者扱いにしていると思い込むようになり、また昭和五〇年二月次女和美が夫信行と結婚しながらその住居を被告人に教えないこともあつて、家族の者全員が自分をのけものにしているものと思い込み、内心同人らに対して不満を抱き、家庭におちつかず、あてもなく市中を徘徊するようになつていつたところ、同年秋ころより、かつて知人のために松澤愛生から借りた金一〇〇万円の返済を同人及び保証人の山田六之助らから厳しく請求されるようになつたため、その外出は深更にまで及ぶようになり、加えて、その後帰宅しても長女裕子が被告人の夕食の仕度をしていないこともあって、ますます家人に対する不満感情が欝積していつたものであるが、

第一、昭和五〇年一二月一五日夜、例のごとく外出し、同日午後九時一〇分ころ、東京都中野区中野一丁目二六番一号所在の中野区立谷戸小学校東側路上をあてもなく徘徊中、同路上に駐車されていた奥村恭誠所有にかかる小型貨物自動車(品川四四に一〇―八一号)を認めるや、つねづね同所に違法に駐車する車が多いことを腹立たしく思つていたこともあつて、こらしめのためこの際右貨物自動車に放火し、併せて前記家族らに対する不満をも晴らそうと考え、右貨物自動車の布製幌付きの荷台に積まれたダンボール箱内の紙屑に所携のマッチで点火して火を放ち、その結果その火を右ダンボール箱から右布製幌及び木製荷台へと燃え移らせて右布製幌を焼失させるとともに右木製荷台を燃焼炭化させて焼燬(この損害額合計五三、〇〇〇円相当)し、よつて付近の現に近藤治信らが住居に使用している家屋及び前記谷戸小学校体育館等に延焼するかもしれない危険な状態を発生させて公共の危険を生じさせ、

第二、同月一七日夕刻、前同様自宅を出て同区中央四丁目六〇番所在の中野区立桃園川公園に至り、同公園横の桃園川遊歩道上のベンチで居眠りをした後、あてもなく市中を歩いて同日午後一〇時四〇分ころ、同区中央四丁目四四番八号所在の中央フードセンター裏桃園川遊歩道にさしかかるや、折からの寒さのため暖をとろうと考え、同所遊歩道上の中央花壇脇において、幅員約六・一メートルの右遊歩道に沿って右中央フードセンターほか多数の建物が建ち並んでいるのに、消火用の水を用意する等の措置を講じないで、同所にあつた新聞紙や木屑、マッチのケース等(昭和五一年押第三七三号の3及び4はその燃え残り)を拾い集めてこれに所携のマッチで点火してたき火をし、もつて相当の注意をしないで建物の付近で火をたき、

第三、前記第二の犯行後更に市中の徘徊を続け、翌一八日午前零時ころ、同区中央二丁目五番四号所在の大野公良所有にかかり現に同人らが住居に使用している木造モルタル塗瓦葺二階建店舗兼居宅の西側路地にさしかかつた際、同建物の西側モルタル壁に接着して右大野所有にかかる清酒用木箱が積みあげられ、かつ右木箱の間に紙屑を入れたダンボール箱が置かれているのを見て、いつそ、これらに放火して前記不満を晴らそうと考え、右ダンボール箱内の紙屑に所携のマッチ(前同号の1)で点火して火を放ち、その結果その火を右ダンボール箱から右木箱等へと燃え移らせてこれらの一部を燃焼焼失させ、右炎上する炎を見るやなお一層興奮し、ひき続いて同所より約一三・六メートル北方の右大野所有にかかり現に大野香らが住居に使用している軽量鉄骨造モルタル塗二階建倉庫兼居宅の西側庇下に、右建物に接着して積まれていた右大野所有にかかる多数の清酒用木箱又プラスチツク製ケース等のそばに置いてあつたゴミ捨て用ポリバケツ内の紙屑にも前記マツチで点火して火を放ち、その結果その火を右ポリバケツに燃え移らせてこれが一部を燃焼溶解させ、もつてこれを焼燬し、よつて前記大野方店舗兼居宅及び大野方倉庫兼居宅の各建物にそれぞれ延焼するかもしれない危険な状態を発生させて公共の危険を生じさせ、

第四、更に同日午前零時五分ころ、前記第三の放火現場から約五三・八九メートル北方の同区中央二丁目五番九号所在の須藤香三所有にかかり現に同人ほか二名が住居に使用している木造瓦葺二階建居宅兼作業所(床面積約一二一平方メートル)の西側路地上において、右須藤方建物の西側軒下に置かれていた木製椅子等の雨よけ用のため張られていた布製シートを認めるや、これに放火して前記不満を晴らそうと考え、右シートに火を放てば右シートから右須藤方建物に燃え移り、これを焼燬するに至るかもしれないことを認識しながら、右焼燬の結果の発生を敢て意に介せず、所携の前記第三記載のマッチで右シートの下方ほつれ目部分に点火して火を放ち、その結果その火を右シートから右須藤方建物の羽目板、柱等に燃え移らせて右建物を全焼させ、もつて現に人の住居に使用する建物一棟を焼燬したほか、さらに同建物に隣接する同番同号所在の右須藤所有にかかり現に人の住居に使用せずかつ人の現在しない木造トタン葺二階建作業所兼居宅一棟(床面積約一〇〇平方メートル)を全焼させて焼燬し、これに隣接する同区中央二丁目五番七号所在の大野公良所有にかかり現に遠山はるえほか一四名が住居に使用している木造瓦葺二階建共同住宅「第三大野荘」一棟(床面積約一二六平方メートル)、同区中央二丁目五番九号所在の荻野ゆき所有にかかり現に古川陽子ほか七名が住居に使用している木造瓦葺二階建共同住宅「荻野荘」一棟(床面積約一二一平方メートル)、及び前記須藤方建物に隣接する同区中央二丁目三〇番一号所在の中島キミヱ所有にかかり現に金谷重雄ほか五名が住居に使用している木造瓦葺(一部トタン)二階建居宅兼公衆浴場「宝湯」一棟(床面積約二九七平方メートル)をそれぞれ半焼(焼失面積は第三大野荘約六〇平方メートル、荻野荘約七〇平方メートル、宝湯約五五平方メートル)させてこれらを焼燬したものであるが、被告人は、右各犯行当時嗜眠性脳炎後遺症及び老人性痴呆症等により、心神耗弱の状態にあつたものである

(証拠の標目)(略)

(当事者の主張に対する判断)

一、弁護人は、判示第一及び第三の右事実につき、未だいずれも公共の危険が生じていないから、刑法一一〇条一項の罪は成立しないと主張する。しかしながら、前掲各証拠によれば、判示第一の小型貨物自動車は、南北に通ずる幅員約五・一二メートルの道路上に北方に向けて駐車され、同車より東方約三・五三メートルの地点には判示近藤方家屋が、また西方には金網フエンスを隔てて至近距離に判示谷戸小学校の体育館が存し、道路と右体育館の建物との間には樹木が生えているが、その樹枝は東側は本件自動車の上方におおいかぶさるようにして伸び、西側は右体育館の建物に接するまで繁つていること、焼燬された右貨物自動車の荷台の高さは地上約〇・七一メートル、同幌の高さは約二・〇八メートルであつて、当時同車のガソリンタンクにはガソリンが一杯に入つていたこと、右自動車の火勢は強く炎の高さも相当高くまで上つて右谷戸小学校の樹木の枝に達する程であったこと等の事実が認められ、これに徴すると、本件当時右近藤方家屋及び前記谷戸小学校体育館への延焼の可能性は十分にあったというべきであり、また公衆一般をしてその延焼について危惧の念を抱かしめること明らかというべきであるから、この点に関する弁護人の主張は理由がなく、また判示第三にあっては、被告人が点火したダンボール箱内の紙屑の火は、右ダンボール箱から清酒用木箱、プラスチツク製ケースへと燃え移り、炎の高さも約一メートル位まで上つており、かつ右ダンボール箱及び清酒用木箱等は判示のとおりいずれも大野方建物の西側モルタル壁に接着して置かれていたものであること、また次いで被告人が点火したポリバケツ内の紙屑の火は右バケツに燃え移つてこれを溶解させ、炎の高さも約一メートル位まで上っており、かつ右ポリバケツは判示のとおり大野方倉庫の西側庇下に右倉庫に接着して積み重ねられていた多数の清酒用木箱及びプラスチツク製ケースのそばに置かれていたものであること等の事実が認められ、これに徴すると、当時右大野方建物ないしは倉庫への延焼の可能性は十分にあったというべきであり、また公衆一般をしてその延焼について危惧の念を抱かしめること明らかというべきであるから、いずれも公共の危険の発生があつたというべきであり、この点に関する弁護人の主張は採用することができない。なお弁護人は、右各犯行当時被告人には公共の危険の発生の認識がなかつたから建造物等以外放火罪は成立しないと主張するが、同罪は行為者において公共の危険の発生を認識することを必要とせず、客観的な公共危険状態が発生することをもつて足りるものと解すべきであるから、右弁護人の主張はそれ自体失当というべきである。

二、次に弁護人は、判示第二につき、被告人は相当の注意を払つていたから軽犯罪法一条九号の罪は成立しないと主張する。しかしながら、右一条九号にいわゆる「相当の注意」とは、「通常人に一般的に期待される程度の注意」と解せられるところ、前掲各証拠によれば、被告人は判示花壇脇においてたき火をする際、消火用の水を用意することなくまた右消火用の水がどこで入手できるかについても事前に確かめず、漫然折からの寒さから暖をとるため新聞紙等を拾い集めてたき火をしたものであつて、付近建物への延焼の危険の有無について考え、あるいはこれが防止にことさら気を配り、注意を払った形跡は窺われないから、右は相当の注意をしないでたき火をしたというになんら妨げなく、この点に関する弁護人の主張も採用することができない。

三、弁護人は、被告人には判示第四の犯行につき、須藤方建物を焼燬しようとする意思はなかつたから現住建造物等放火罪は成立しないと主張し、被告人また公判廷において、判示布製シートに火をつけたのは暖をとるためであって、右建物を焼燬しようとまでは考えていなかつた旨供述しているので、以下この点について判断する。

前掲各証拠によれば、(1)被告人が火を放った右布製シートは縦約二・五五メートル横一・二五メートルの長方形のものであつて相当に大きく、本件当時はこれがほぼ一杯に拡げられて、判示須藤方建物の西側軒下の二階出窓の下から斜め下方に向け、右軒下に積まれた木製椅子等の雨よけ用のために張られていたものであること、(2)被告人は右布製シートの下端から約四七・五センチメートルの位置にあるほつれ目部分を認めて、これに所携のマツチで点火して火を放つていること。(3)右布製シートの北側にはさらにもう一枚ビニール製シートがあり、これも前同様に右二階出窓の下から張られていたこと、(4)右のとおり、前記二枚のシートの上方には出窓があり、また背後には須藤方建物の羽目板があったこと等の事実が認められ、かつ被告人は本件前にも右須藤方建物の西側路地を幾度か通つたことがあつて、右(1)ないし(4)の事実を十分に認識していたものと認められるところ、このような状況の下において、右布製シートへ火を放てば、その火が右シートから背後の羽目板ないしは上方の出窓に燃え移り、ひいて須藤方建物を焼燬するに至るべきことは、通常人において容易に予見しうるところというべく、現に被告人も検察官に対する昭和五一年一月七日付供述調書第一〇項において、「私が火をつけたところから須藤さんの家の壁板までは一メートルもない近い距離でした。ですからシートに火をつければイス壁板に燃え移り、さらに家全体が燃えると考えたのです。」と供述し、捜査段階においては右須藤方建物への延焼を認識・予見していたことを認めているのであつて、如上の諸事実に徴すると被告人においても右須藤方建物を焼燬する認識は十分これを有していたものと解するのが相当であり、右事実及び僅か数分の間に次から次へと続いて火を放っている事実に徴すると、被告人が公判廷において供述するが如く、暖をとるために点火したものとは到底認められず、弁護人の主張はひつきよう被告人が事前に須藤方建物を焼燬しようという確定的意図を有していなかつたという点において採用しうるに止まり、現住建造物放火罪の故意を有していなかつたという点についてはこれを採用することができない。

四、次に弁護人は、被告人は本件各犯行当時、昭和三年ころに罹患した嗜眠性脳炎の後遺症と近時の老人性痴呆症とにより心神喪失の状態にあつたものであり、被告人はいずれも無罪であると主張し、他方検察官は、被告人は右各犯行当時心神耗弱の状態にもなかつたと主張するので、以下この点について検討する。

医師竹崎治彦作成の精神鑑定書及び同人の当公判廷における供述、並びに医師西尾忠介作成の精神衛生診断書及び同人の当公判廷における供述によれば、被告人は東洋商業に在学中の昭和三年ころ嗜眠性脳炎にかかり、その後知能面で若干の減退を来たしたに止まつたものの、その性格面での変化は著しく、それまで温和で礼儀正しく勉強もよくできていたものが、右脳炎後は、お人よしの一面とともに意志薄弱で著しく倦きつぽくなり、誇大的で作話・虚談が目立ち、また感情に深みがなくなつてしまい、右の変化はその後も継続し、戦後はこれが特に目立ち、現在被告人の知能はウエイス知能検査で全体知能指数一〇三(言語性一一四、動作性八八)であるが、現実吟味や判断力が劣悪で状況変化についてゆけず、またその性格は著しく偏つており、人格の核芯や年輪の深みがなく、多幸・爽快気分が優位でその場の状況に迎合的に反応しやすく、思考や情緒面の抑制に欠け、自己を十分に統御できず、情緒的衝動性も比較的高く、倦きやすく、内的安定性に欠け、誇大・浮薄・自己顕示的であつて、一言にしていえば類軽佻者的性格(自己の意思で自己を統御できず、他者や状況からの影響に無抵抗で、いわゆる軽はずみ、上つ調子の人士)というべきものであり、これを社会生活場面からみれば、お人よしでその場の状況に迎合的に反応しやすく、すぐ反省するがまた同じ様な事故を繰り返し、定職につくことができず、多動徘徊傾向があり、家族の保護がなければ日常生活を存立させることができず、その責任能力は小児ないし少年と同様非常に限定的であると評価しうるものであり、また被告人には四、五年位前より老人呆け症状も加わつて、その能力は一層減弱化して来ており、かかる精神状態に加えて、昭和五〇年九月ころより松澤愛生からその借金の返済を厳しく催促されるという被告人には対処し切れない状況の変化が起こり、かつ長女裕子らから冷遇されていると思い込むことによる不満感情も重なり、ここに本件各犯行当時は短絡的な「抑圧―憂さ晴し」の機構が成立し、夜間市中を徘徊中、違法に駐車された小型貨物自動車(判示第一)、新聞紙等(同第二)、ダンボール箱及びポリバケツ(同第三)、布製シート(同第四)に遭遇して短絡的に放火行為に及んだものと認められ、これによれば、被告人は本件各犯行当時その性格面に著しい偏りを生じて幼児化しており、是非善悪を弁別し、これに従つて行動する能力を著しく減退させていたものと解されるから、心神耗弱の状態にあつたものと認めるのが相当であり、従つて被告人が完全な責任能力者であるとする検察官の主張は採用することができない。しかしながら、他方如上の諸事情並びに被告人はその知能面に若干の減退を来たしたもののなお普通知能域にあること、また被告人には狭義の精神病は認められないこと等に徴すると、被告人は本件各犯行当時心神喪失の状態にはなかつたことが明らかというべく、この点に関する弁護人の主張は採用することができない。

(法令の適用)

被告人の判示第一及び第三の各所為はいずれも刑法一一〇条一項に、同第二の行為は軽犯罪法一条九号に、同第四の行為は刑法一〇八条にそれぞれ該当するので、判示第二の罪については所定刑中拘留刑を、同第四の罪については所定刑中有期懲役刑をそれぞれ選択し、右は心神耗弱者の行為であるから同法三九条二項に従い、判示第一、第三及び第四の罪については同法六八条三号により、判示第二の罪については同条五号によりそれぞれ法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第四の罪の刑に法定の加重をし、拘留刑については同法五三条一項によりこれを右懲役刑と併科することとし、右各刑期の範囲内で被告人を懲役六年及び拘留一〇日に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中三〇〇日を右懲役刑に、同一〇日を右拘留刑にそれぞれ算入し、押収してあるマツチ一個(昭和五一年押第三七三号の1)は判示第三及び第四の各犯行の用に供したもので被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項を適用してこれを没収し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用してこれを被告人に負担させないこととする。

(量刑の事情)

本件は、判示のとおり、昭和三年ころに罹患した嗜眠性脳炎によりその性格に著しい偏りを生じた被告人が、昭和五〇年秋ころより借金一〇〇万円の返済を厳しく催促されてその処置に窮し、その多動徘徊傾向をますます強めて夜間市中を徘徊中、家人が自己を冷遇しているとの不満を晴らすため、感情の赴くまま次々に駐車中の車、ダンボール箱、ゴミバケツ、布製シート等に放火してまわり、あるいは折からの寒さから相当の注意をしないでたき火をしたという事案であつて、極めて危険・悪質な犯行というほかなく、特に判示第四の犯行にあつては、遂に判示須藤方ほか住宅三棟及び作業所一棟を焼燬するに至らしめており、その損害額も約五、五〇〇万円に上り、焼け出された者は一八世帯三一名にも及んでいること、右被害者らは被告人からなんらうらみを受ける覚えはなく、たまたま被告人が通行した本件路地付近に住んでいたばかりに本件に遭遇したものであつてまことに同情を禁じえず、今日まで金谷重雄に対し金一三〇万円を払つて示談が成立したほかは、他の者に対し慰籍の手段が講じられていないこと、判示第一及び第三にあつてはいずれも住宅密集地域で敢行されており、付近民家への延焼の可能性も十分にあつたこと、さらに本件各犯行がいずれも夜間人通りの跡絶えた時刻になされており、地域住民に与えた不安と恐怖は決して軽視できないものがあること、その他本件各犯行の態様、回数等に徴すると、被告人の本件刑事責任はまことに重いといわざるをえない。しかしながら、被告人は本件各犯行当時前記嗜眠性脳炎の後遺症と近時進行しつつある老人性痴呆症等により心神耗弱の状態にあつたものであり、判示第四においても須藤方建物等を焼失せしめようとするまでの積極的な意思は有していなかつたこと、幸い判示第一及び第三においては付近民家への延焼は免れていること、前示のとおり、金谷重雄に対しては金一三〇万円を支払つて示談が成立していること、被告人はこれまでなんらの前科・前歴なく、昭和二四年以来定職にはついていないものの一応大過なく過ごして来ており、現在では自己の軽率な行為を反省し、今後再びかかる不祥事を起こさない旨誓つていること、被告人は現在六二歳という高令であつて、しかも高度の難聴で身体障害者等級表による三級の身体障害者と認定される身体状況にあること、本件の重要な遠因の一つとして前記のとおり一三歳ころに嗜眠性脳炎に罹患したことが挙げられるが、罹患したこと自体については被告人を責めることはできず、むしろこの点は同情されること、その他被告人の経歴、性向、家族関係、生活環境等諸般の事情を考慮すると、被告人に対しては、主文掲記の刑を量定するのが相当と思料される。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 石田恒良 神作良二 原田敏章)

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